狩人はバニラの香り
狩人はバニラの香り
ー プロローグ ー
七分袖のデニムジャケットの裾を翻し、星野明日香は駅に向かって猛ダッシュしていた。
「あぁもう、間に合わないかもぉー」
いつもは何気なく歩いている駅までの15分道のりが、走るとこんなにも遠く感じるとは、日頃の運動不足もたたり、駅に着いたときには、もう心臓が口から出そうなくらい苦しかった。もどかしくジャケットから定期を出したとき、発車のベルが明日香の耳に届いた。
あぁーあっ、行っちゃたよ。彼女も行っちゃったかなぁ。
そんな明日香のつぶやきも、走り去る電車の音に掻き消された。
人のいなくなったホームに明日香一人が佇んでいた。
夏の余韻を残す日射が照りつける遅い朝。秋の訪れを感じさせる風が、プラットホームを滑っていく。
息を切らしながら、ホームの自販機で野菜ジュースを一気飲みした。
次の電車までの短い沈黙が明日香を包み込んだ。遠くでヒグラシが鳴いている。
その時、自販機の影になったベンチから人影が立ち上がり、ホームを前方に歩いていった。
いたっ、あの人だ。彼女も乗り遅れたんだ
小さく呟きながら、明日香も彼女の後から同じ方向に歩いた。
かわいいなぁ。ボーイッシュな髪がよく似合ってるよ。うん。それにあの脚、スベスベしてそうで凄く綺麗。どこに出しても恥ずかしくないって言うか。それでミニ履かれちゃ、かなわないよね。そんなことを思いながら、明日香はまるで当然のように彼女の後に並んだ。
1週間ほど前、明日香がその大きな瞳で彼女を見つけたのは偶然だった。
たまたま寝坊して1本遅い電車になった時、いつも明日香が並ぶ場所に彼女が並んでいたのだ。
最初に明日香の目を引いたのは、その形のいい脚線美だった。白くてまるで大理石のようなその肌、それがミニスカートから太腿までを晒け出している。
身長は160センチある明日香より、5センチほど高い。
どっかのモデル? そう思わせるほど個性的で、端整な顔立ち。そしてその顔にボーイッシュな髪がよく似合っていた。
彼女を見つけた日から、明日香は電車を1本遅らせた。そしていつも並ぶ場所。” 前から3両目の3つ目のドア ”の所で彼女を待った。
明日香は後から、彼女の太腿を見ながら思った。そうかぁ、この人も乗り遅れたのね。不幸中の幸いってトコね。コレも日頃の行いかな?
風に乗って前の彼女から、甘い香りが明日香の鼻をかすめていった。
ああっ、いつものケーキ屋さんみたいな匂いだ。バニラかな? 明日香の胸は、そんな思いと共に、甘い香りで満たされてゆく。
その香りを吹き飛ばしながら、「夢の森」行き、特急電車がホームに滑り込んできた。