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あなたの燃える手で

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秘湯の夜

ー 最終回 ー 
カーテンの隙間から蜂蜜のような朝の光が差し込んでいる。
布団に横たわる私の耳に、川のせせらぎが繰り返し聞こえていた。
やっぱり彼女はいなかった。
「結局、さようなら言えなかったなぁ。やっぱりそれが心残りかな」
そう思いながら私は帰り支度を始めた。
「最後にもう1回、温泉に入っとこうかな」
帰り支度を中断すると、タオルを持って露天風呂に向かった。

こうして温泉に浸かって空を見上げると、白い湯煙が青空に吸い込まれていくように見える。そう言えば、初めて由里にあったのもこの露天風呂だった。
「あれ? ちょっと待って。由里はどうしてここにいたの?」
そうだ。だって由里は宿泊客じゃないのに……。
それともここは温泉だけ利用できるのかな? しかも由里は私の部屋まで来た。どうして私の部屋を知っていたの? 
体はサッパリしたけど、心のモヤは晴れぬまま、私は露天風呂から上がった。
露天風呂から部屋へ戻る途中、ちょうど階段の下で女将とすれ違った。
「あっ、あのう、ちょっとすいません。女将さん」
「はいっ」
「ここの温泉は宿泊者以外の人も入れるんですか?」
「いいえ。お泊りいただいている方だけですけど」
やっぱり。って言うか、それじゃ由里はどうやってお風呂に……。
「それじゃ、誰かが私を訪ねてきたら、部屋を教えますか?」
「そりゃ、ご本人の確認をとってからじゃないと。最近は物騒ですからねぇ。
何かあったんですか?」
「昨夜とおとといの夜、私を訪ねてきた女の人がいましたよね?」
「いいえ、誰も。お客さん。酔っていい夢でも見たんじゃないですか」
「由里さんっていう27~28歳のきれいな人なんですけど」
「いいえ、そんな人来ませんでしたよ」
「ここにそれくらいの人、泊まってませんか?」
「いいえ、今はお客さんの他には家族連れが3組だけですから」
「じゃ、ここの従業員にそれくらいの人は……」
「ここに居るのはみんなあたしより年上の人ばっかりですから」
「そうですか」
女将はどう見ても40代にしか見えない。あの由里が40代のはずはないし。
「鍵はいつも何時まで開いているんですか」
「そうですねぇ、10時ごろまでは開いてはいますけどね、誰も来ませんしねぇ。第一、誰か来ればセンサーがチャイムを鳴らしますから、分かりますよ」
そうか、確かに玄関に入ると、奥でチャイムが鳴るのが聞こえる。
「どうもすいません。変なこと聞いちゃって」
「いいえ」
女将は笑顔で頭を下げると、奥へと消えていった。

それから3時間後のお昼に、私は「渓友館」を出た。
その時は、女将がわざわざ外まで見送ってくれて、またココにって思う。
「外は暑いですねぇ。気をつけてお帰り下さいね。ありがとうございました」
女将は両手を前に深々と頭を下げた。
「どうも、お世話になりました」
私は一礼すると、「渓友館」を後にした。

それにしても、いったい由里は……もう、一体どういうことよ。
そうだ、最初に由里を見つけた場所、あの川の大岩の所へでも行ってみよう。
せっかく温泉でサッパリした後だけど、私は炎天下の中、あの川に向かった。
足場の悪い河原を大股で歩きながら、私は大岩にたどり着いた。でもそこには、
橙色の鬼百合が1本、風もないのに揺れていた。まるで私に会えた事を喜んでい
るように。その鬼百合を、大岩をバックにカメラに納めた。
これが「天人沢」で撮る最後の1枚になった。
「やっぱりねぇ。居る筈ないか。用事があるって言ってたし」
私は満たされぬ思いで、「天人沢」駅に足を向けた。
深緑の山は相変わらず、セミたちの合唱で溢れていた。

14時「天人沢」発の列車は、定刻通りにホームに入ってきた。
私はこの町を一望できる改札口の前で、もう1度この町を眺めた。
そう、あの時もこうやって釣り人をファインダー越しに見ていたんだっけ。
そして、カメラをこうやて右に……。
「あっ、ゆっ由里」
由里がいる。確かに由里がいる。
あの時と同じだ、さっき行ったあの大岩に、由里が腰掛けている。
由里はこっちを見ている。 私は手を振った。思いっきり背伸びをして、私が
分かるだろうか? いや肉眼では無理かもしれない。それでも手を振り続けた。
ファインダーの中の由里は、こっちを向いて微笑んでいるように見えた。

ホームに発車を告げるベルが響いた。
列車と共に「天人沢」の景色は流れ始め、やがて深緑の向こうに飲み込まれた。最後に一目、由里を見れたことが救いだった。


ーエピローグー
これからまた5時間。東京までの長い道のりが始まった。
私はたった2両の列車に揺られながら、撮り溜めた写真をカメラのディスプレイに映し、チェックをしていた。
最初の1枚目は駅から撮った鮎釣りの風景だった。色々なことがあった2泊3日の旅が、時間経過と共にこのカメラに収められている。
由里を見つけ、大岩まで歩きながら撮った写真。翌日の駄菓子屋、田んぼ。そしてその日の夜に撮った由里のヌード。
「あれっ? えっ、何これ? 撮れてない」
いや写真は撮れている。そこに由里だけがが写っていない。どういうこと?
部屋の壁やカーテンはちゃんと写っているのに、由里だけが写っていない。
タイマーを使ってキスをしながら撮った写真も、私だけが空を抱きしめている。
「由里、あなたはいったい……」
その時、由里との会話が蘇った。

「璃緒、また来てくれる? ここに」
「うん。来るよ」
「本当に? 何があってもまた来てくれる?」
「もちろんよ。年末にでも来たいくらい。一緒にクリスマスを過ごそうか」
「うん。ありがとう。うれしい。あたし待ってるわよ。本当に待ってるわよ」

そして私は最後の1枚を見た。
大岩をパックに撮った鬼百合の写真だ。目頭が熱くなって、涙で写真の鬼百合の輪郭がぼやけ、新たな形を取っていく。それは小指を立てて指切りのまねをする由里が、幸せそうに微笑んでいるように見えた。
私が明日帰ると言ったときに見せた、あの寂しげな瞳。

もしかしたら誰にも見えない、私だけに見える由里。そうなのね。

「由里、約束よ。私またここに来るわ。きっと来る」
昨夜の彼女の細い小指の感覚が、私の小指に確かに残っていた。

あなたはここに写っていないけど。あなたのあの天使のような微笑みは、
私の心に焼きついているもの。



                -END-

Comments 2

マロ  

やっぱり由里の正体は・・・でしたか。
暑い日々の中、綺麗な、涼しい、良い作品でした。
次の更新、ゆっくり楽しみにしてます。

2007/08/25 (Sat) 00:47 | EDIT | REPLY |   
蛍月  
おはようございます

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。

>やっぱり由里の正体は・・・
そうですか、やっぱり、やっぱりバレてましたか(笑)
軽いオチのつもりで、用意した結末でした。
(*^_^*)

ただいま次回作を、鋭意執筆中です。
また、気長にお付き合い下さい。
よろしくお願いします。

2007/08/25 (Sat) 08:48 | EDIT | REPLY |   

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女が女をじっくりと、生殺しのまま犯していく。その責めに喘ぎ仰け反る体。それは終わり無き苦痛と快楽の序曲。     
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更新日:日・水・土